土曜日の12時過ぎです、ひさしぶりにいいお天気。
交差点で小学6年生くらいの男の子が一人、
じっと前を見つめたまま無表情でいたんです、
両手で大きな自転車を支えています。
荷台には「駐車禁止」と書かれた赤い三角の置物を尖った方を後ろに倒して、
ヒモで無造作にグルグルしばっています。
大人が使うものです、校庭で標識の練習でもあるの?
でも、向かうのは小学校とは逆方向ですし、
彼に何があったのかなぁ〜、決して楽しいふうでない真剣さに、いい苦労してんなぁと思ったんです。
こういう苦労も心情問題や実験問題に強くなるでしょうし、
だれもやりたくないことをすることがどれだけ尊いか、尊敬や感謝を実感するチャンスです!
サイトでは空間イメージも、バラのとげも、”花の香り”も”風”も感じられない、
だから、いい苦労。
灘中の予想問題に次のような一文が出題されました。
「近所の」が「評判の悪い」を飛び越えて「家」にかかり、「評判の悪い」が「家」を飛び越えて「犬」にかかるような、器用なたすきがけの修飾は日本語では不可能だろう。
この一文は理解できるでしょうか?
1「近所の家の評判の悪い犬」なのか
2「近所の評判の悪い家の犬」なのか
理解できないけれど、だいたいわかるでもO Kです、
近所 評判の悪い 家 犬 が組み合わせられて一つの画像のようになったら読めたことになりますし、あとの文章を待って、迷惑行為をしているのが近所の家だったら「評判の悪い家」ですし、
悪さをするのが犬なら「評判の悪い犬」になるはずだからです。
ですが、ここでキッチリ理解できればスッキリします。
ちょっとめんどくさいかもしれませんが、最初だけです。
この文は
2「近所の評判の悪い家の犬」のように理解できればいいいです、
なぜ、
1「近所の家の評判の悪い犬」はブーなのか、
「評判の悪い」が「家」を飛び越えていないからです。
さらに
1「近所の家の評判の悪い犬」は
「近所の家」と「評判の悪い犬」が並んでいるだけなのに対して
2「近所の評判の悪い家の犬」は
「近所の家」と「評判の悪い犬」が入り組んでいます、
作者が言いたい「たすきがけ」というのはこれだったのかと納得します。
いちばん困るのは、わかるともわからないとも何とも感じない子です。
「この意味はわかりますか?」
「これはどういうことですか?」と質問されてから、考えはじめる子です。
こういう子は、この一文を読んだときにそれを理解しようとしていない。それでは文を「読んだ」とはいえず、ただ「見た」だけです。これは頭がいい悪いでなく、習慣です。
「たすきがけの修飾」とありますが、どうして「たすきがけ」といっているのですか?
ここを読んだときに「たすきがけって何?」とか「ん? どういうこと?」と感じたら、それは文を分かろうとしている証拠です。
「分かる」「分からない」の分かれ道は3択です。この文から逃げるか、この文で立ち止まったままか、この文を超えるか。
「分からない」と感じること自体、気分よくない、心臓のあたりがイラッとします
やり方がわからない、めんどくさいですもん、いそがしいからそれどころじゃない、避けたいです
南高校2年の生徒が「最近、国語がすっきり読めるようになった」と言います。
わかります、塾長にも経験がありますから。
そこで、なにが分かったの?と聞きました。
だれだって気分よくないことはスッキリさせたいですからね!
やはりそうか・・・・
「スッキリ」のきっかけとは
1主語、述語を武器にすれば500字の長文も1文にできる
2指示語はパズルのピースです、当てはめに成功したら全体像がクッキリ
3この語はどこにかかる?をビームすると文脈が最後まで見えてくる
4設問を暗記すると脳がビビびっとGoogle検索してくれる
だった。
この4項目をひとことでいうと「自分で言い換え」をするってことです。
自分で言い換えをせずに、流してしまってはいけません。国語に限りません、英語の長文や数学の文章題、理科・社会の問題も、そのポイントをつかんだら、あるいはポイントをつかむために、自分で言い換えをすることが大切です。