立命館大学文学部の教育人間学専攻では
3回生になるとヨーガの実習を行います。
日本でもヨガとして広く知られていますが、
ヨーガの起源は約4500年前のインドにまでさかのぼるんです。
現在、世界的に広がっているヨガはハタ・ヨガといって
動的なポーズをとりいれながら、呼吸と合わせて
自分を客観的に見つめるということから始まります。
そして、ヨガにおける過程が心身のバランスを整えることにつながっていくのです。
実習を行う際も、大事なポイントとして3つの注意点が挙げられます。
①ゆっくりやること
②呼吸をととのえること
③自分のからだに集中を向けること
この中でも実習において③は特に重要視されます。
例えば、自分の体をモニターしながら
今日は寝不足で体がだるいし、目が疲れて、なんか動ける元気もないなぁ
と思ったらそれに従って動かない選択をとります。
実習中、先生や周りの友だちが動的なヨーガをやっていたとしても
自分の体の声に従って無理には動きません。
そんな時はシャバアーサナというポーズをします。
シャバアーサナは、仰向けに横たわって、リラックスして、ただゆっくり呼吸をするだけです。
途中で横向けになってもいいし、眠ってしまってもOK。
体がだんだん床にうまり溶けていくような感覚で脱力し
顔の目から首から腕から足まで順番にリラックスして
丹田というおへその下のところに意識を向けます。
リラックスして、息を吸うとお腹が自然と膨らむような腹式呼吸をする。
ただし、スマホを触ったり漫画を読んだりしてゴロゴロするのではなく、
あくまで体に注意を向けて行います。
私は3回生のヨーガの実習に助手としてお手伝いしているのですが、
先週の実習では、みんなシャバアーサナが上手になってきたのか
いびきや咳もたくさん聞こえてきました。
授業だからといって無理して先生に合わせるのではなく、
自分の体に従って短期間でもリラックスできるようになったということです。
こんな風に自分の体に注意を向けて、自分自身を観察し、コントロールすることは
一種の自己教育といえます。
自分で自分を育てていくということです。
先生や大人の指示に従って教えられる教育とは違いますね。
このような自己教育を行うのは、大学生などの青年期において
自分自身を見つめ直す過程でとても重要になるのですが、
小学校を卒業した中学生〜高校生くらいからでも
自分自身を観察することが段々とできるようになってきます。
小学生の間は自分を客観的にみるような心はまだあらわれていなくて、
我を忘れて、遊びやおもちゃそのものに集中するのが当たり前だそうです。
遊ぶことが子どもの仕事と言われますが、まさにそうで、
小学生の間は「忘れる」という機能を使い、
思いっきり遊ぶことで健康を維持します。
大人になると完全に「忘れる」ことがむずかしくなって、
自分自身がどう見られているかや、過去の辛い経験やいろんなものを抱えながら生きていくので
自分自身の調整が大事になってくるんです。
中学生〜高校生の思春期ではどうでしょう?
大人に向かって大きく変動し、心身が不安的になる時期ですが、
体験や経験に我を忘れて身を投じるだけでなく、
知識を使いながら自分を客観的に見ることができるようになってきます。
それによって、自分が自分じゃない感覚や
自分ってなんなんだろう?と思うことも増えてくると思います。
心身の変化が激しいので特に体のことについて敏感になる時期かもしれませんね。
思春期という非常に不安定なときの真っ只中に生きるみなさんは
どんな形であれ、しんどい中を踏ん張って生きているのだと思います。
自分で自分をコントロールできなきゃ!と焦る必要はありません。
自分のあるがままの状態、例えばつらいって相談したいんだけど、相談できない。
相談したくない、このつらさを簡単にわかられてたまるもんかという気持ちさえある。
でも1人で抱えきれそうにもないといった葛藤や
疲れた、しんどい、でも遊びたい、いやしんどい、、、、も含めて
そのままの自分を大事にしてほしいなと思います。
そのうえで変わりたいとかこうしたいとか色んな気持ちが湧いてきたときに
Jukuをうまく活用してほしいなと思います。
Jukuはあなたが集中して自分と向き合える時間と環境を用意しています。
伊藤万莉(いとう まり)
4月から立命館大学大学院の文学研究科 教育人間学に進む。桑名高校理数科、立命館大学(文学部< 人間研究学域>)卒業。
ひと言われたら10考える。高校時代は陸上競技をこよなく愛し、
近い将来は南極に行って「皇帝ペンギン」さまにご挨拶するのが夢。
最近は、生徒とどういう関わりがベストなのか探求中。