国語の読解法がわかってきた
そこも、その線を引いてあるところのあたりを見る
と、答があったのでよかった
今日は国語の読解をしました。
いつも通り大切なところに線を引くというやり方をし、
少しわからないところもありましたが、
そこもその線を引いてあるところのあたりを見ると、答があったのでよかったです。
学校でもこのやり方を使ってみたいです。
▼先生のコメント▼
スゴイです。
中学1年生なのに、と思います。
国語の長文問題で、
「少しわからないところもありましたが・・」
と言ってますが、
「そこもその線を引いてあるところのあたりを見ると、」
として、
「答があったのでよかった!」とむすんでいます。
これは、読解の本質をついています。
みんな、国語は当たりはずれと思っています。
ですから答は『適当』です。
正解なら、もうけもの、
はずれたら、しょうがない、です。
それが習慣になってしまっています。
けれどもちょっと考えてほしいのですが、
もし、あなたが
英語や数学と同じように、
国語の長文を『100点』にすることにこだわれば、
なぜ答えが違ったのか、
きっと、気になるはずです。
彼は、そこが気になった。
そして
「線を引いてあるところのあたりを見る」ことに気がついた。
これは、ほんとうに、読解の本質です。
そして、学習とは能力や学年に関係なく気づきです。