立派な文が書けるようにがんばりたい
自分が言いたい事を100%文にまとめれば、
読んでくれる人はより一層理解してくれる
自分の書いた文を人に読んでもらうのは恥ずかしいけど、理解してくれると嬉しいです。
なので、自分が言いたい事を100%、文にまとめれば、読んでくれる人は、ぼくのことをより一層理解してくれると思うので、立派な文が書けるようにがんばりたいです。
▼先生のコメント▼
いいですね。
自己本位の作文でなく、
相手にいかに自分の考え方を伝えるか、
ここに視点が移っているからです。
私は論文の練習には、とても気を使います。
なぜなら生徒が論文を書くことで、悩み、考え、そして、頭の中が整理されていくわけですが、
それがそのまま社会に出て、心の持ち方に固まっていく事が多いからです。
たとえば、実際の入試の場面では「自然と人間について」述べよ、ですとか、
「生きがいについて800字で書け」、ですとか
こんな論文の課題を30分で書き上げなければならない。
文章を書く時というのは、どうしても自分の考え方や
過去の経験から学んだことを書いていくことになるから、
奥深く書いていけばいくほど、どんどん裸の自分と向かい合うことになり、
つきつめれば自分との孤独な対話になるのです。
それを彼は「自分の書いた文を人に読んでもらうのは恥ずかしい」と
書いているわけです。
教科書に出てくる芥川龍之介の「羅生門」や夏目漱石の「心」は自分との孤独な対話です。
これを学校で学習しても、深く自分と対話するということは、まず、ありません。
小論文をやって初めて、自分にとって最終的には人生を「どうしたいのか」、
「生きるとはどういうことか」の難問に突き当たっていくんですね。
ですので生徒の様子を見ていると、
鉛筆が突然ストップするようなことがあるんです。
難問に突き当たったんです。
そんなときは、ちょっとアドバイスをして原稿作成の後押しをします。
言っていいのか悪いのか、ここが気を使うところなのですが、
看護師を希望している彼は大人だから、言っていいと判断して
こうアドバイスしました。
「わたしは究極の看護とは、死の看護だと思う。
死の看護とは、家族に死を宣告し、患者さんの死から目をそむけずに
患者をいかにそこまで導けるか、その覚悟ができていれば合格する」
そう言ってキューブラロスの書籍「死の瞬間」などを紹介するので
彼の文章が、かなりインパクトの強いものになります。
彼は「自分が言いたい事を100%、文にまとめれば、
読んでくれる人は、ぼくのことをより一層理解してくれると思う」
と書いてます。
そして、顔つきがぐっと大人になります。