私の塾についても深く考えました
会津藩は勤王なり、この言葉
に会津の原点を感じました。
新政府軍が錦の御旗を掲げたその日、
会津は逆賊になった。
会津藩の藩祖「保科正之」は徳川三代将軍・徳川家光の実弟で、江戸幕府の重鎮だったのが、
一夜にして罪人になってしまう。
思いは「会津藩は勤王なり」です。
さぞ、無念だったと思います。
この怒りは、どこにぶつけたらいいのでしょうか?
ここは武家屋敷です
八重桜がみごとに咲いて
いました。
江戸時代後期(幕末)の会津藩の家老、西郷頼母の家です。
「日新館での論語・武芸教育」と「逆賊の汚名を返上すること」が
こうした会津の人たちを立ち上がらせたのだと思います。
★秋篠宮紀子妃(皇室)
★池上四郎(会津藩士の子で大阪府警部長・大阪市長(大正時代に10年間)を務めた)の曾孫。(旧姓)
★小室直樹 (経済・社会学)1932年生 著作「ソビエト帝国の崩壊」
★野口英世 (基礎医学) 1876年生まれ、梅毒や黄色病の研究
★河野広中(政治家・自由民権運動) 1849年生まれ
★田部井淳子(登山家)
★円谷英二 (特撮映画監督)
★円谷幸吉(マラソン)
★井深 大 (技術者・実業家) 1907年日光生まれ、ソニー創設者
★松本信一 (医師・教育者) 京大皮膚科教授、日本医学会会頭
★山川健次郎 (理学博士・教育者)東京大学総長、「会津戊辰戦史」編
★新島八重(同志社大学)
★山本覚馬 (政治家・教育者)同志社英学校開設、京都府議会初代議長
★渡部恒三 (政治家) 1932年生まれ、衆議院議院副議長
怒りが行動を生み、教育が人を動かす。
後世に残す影響は計り知れません。
TheJukuの場合はそれは何か?
答を探しにもう一度、行きたいと思いました。
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