ここは曹洞宗総本山 永平寺です

雨でしたが、…

ひっそりと敦賀湾が一望できました。

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そして、いよいよ

曹洞宗総本山 永平寺です

鎌倉時代といえば、たくさんの宗教ができましたが、
ここ永平寺には道元さんの思想に人が集まります。

すごいですね!
なぜ今もって、こんなに人が集まるのか考えてみました。

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【なぜ修行するのか?】

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「人間はもともと仏の性質を持ち、そのままで仏です」
 

仏教では、そう教えているのに、
なぜ、私たちは仏になるための修行をしなければならないの?
貴族出身の道元さんは、比叡山で修行しながら疑問に思っていました。

先輩に聞いてもなかなかいい答えが見つからなかったんです。

 

【何のために修行なのか?】

そこで、24歳で海外留学します。
宋です。

そこでメンター、如浄先生に出合う。
ある日、

大勢の憎が早暁坐禅をしているときです、
1人の雲水が居眠りをしていました。

それを如浄先生が、
「何のために坐禅をするかといえは、身心脱落のためだ。
それを、おまえはひたすら居眠りばかりしている。
そんなことで、どうなるのだ!? と叱ったことがありました。

なぜ修行するのか、答が分かります。

 

【身心脱落のために修行する】

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わたしたちはみんな、〈俺が、俺が……〉といった意識を持っています。
わたしは立派な人間だ!、わたしが正しいんだ!と思ってしまいます。
かとおもえば、わたしなんて、どうせ、つまらない人間だ・・・とも思ってしまったりします。

自分と他人をくらべて、優越感を抱いたり、劣等感に苦しんだりします。

迷いや苦しみをなくそうとするから、
よけいに、わたしたちは迷いに迷い、
苦しみに苦しむ、これが現実です。

なので、迷っているときはただ迷え、苦しいときはただ苦しめ、
それが身心脱落だと、道元さんは言うんですね。。

【修行をするメリットは何か?】

おぼうさんは悟りを求めて修行するんだと、わたしたちは思っています。

道元さんも若いときはそう考えていたから、

わたしたちに仏性があるのに、
なぜ悟りを求めてわざわざ修行しないといけないの?
と疑問に思っていたんです。

ところが、メンターの教えにより、
道元さんが達した結諭からいえば、それは逆だったんです。

「悟り」は求めて得られるものではない、
「悟り」を求めている自分を捨てる、身心脱落だったんです。

その世界に溶け込む。
それが「悟り」となった。

 

悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できる。

「悟り」の中にいる人間が仏で、仏だから修行できる。

これこそ、【止揚】です。

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わたしたちはついつい、これはいけないことだと知っていながら、
でもこれぐらいのことはしてもいいだろう……と思ってしまいます。

それは自分を甘やかしているのです。
その背後には、自分は仏ではなしに普通の人なんだという気持ちがあります。

しかし、自分が仏だと考えればどうでしょうか? 
〈自分は仏なんだから、こういうことはしてはいけない〉と考えて、
これぐらいのことといって、やることを無くすことができます。

食べるのも坐禅。眠るのも坐禅。いわば仏が食事をし、仏が眠るのが坐禅です。
  - 只管打坐(しかんだざ)-
と呼ばれています。

それが、仏になるための修行ではなく、仏だからできる修行だと、道元さんは言うのです。

ココがすごいと思います。

また行きたくなりました。

【出版もなさっています】
未完の全百巻、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』です。

今も鎌倉時代も同じです。

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